長崎県の海の伝統行事「ペーロン競漕」。
ペーロンは、諸説あるが、白龍(パイロン)が語源で、中国から伝わったとされている。その始まりは、なんとおよそ360年前。長崎港に停泊していた中国・唐の船が暴風雨に襲われた際、海の神の怒りを鎮めようと行われたのが始まりだという。そんなペーロン競漕は、ボートレースの元祖とも言われ、夏になると長崎県の各地で大会が行われ、風物詩となっている。
しかし、長崎港の入口にある伊王島では、大会の存続に苦労している。夏祭り伊王島ペーロン大会の実行委員長・村山康博さんは、「ここ10年ずっと人口減少で、チーム、ペーロン大会の存続も含めて、各チーム苦労しながらやっています」と語る。
そんな伊王島はかつて炭鉱の町として栄えていた。しかし、閉山後は多くの人が島を離れ、ピーク時にはおよそ7000人いた人口も、今では700人ほどに。大正の初期から続いていたペーロン大会も、人口減少を理由に1984年に一旦途絶えてしまった。しかし、地域を活性化しようと、23年前に復活したのだ。
そして、大切な伝統行事を存続させるため、伊王島のペーロン大会では工夫を凝らしている。まず、船の長さは、通常のペーロン船の3分の2程度と小ぶり。そして、一般的なペーロン大会では、漕ぎ手はおよそ30人だが、伊王島では20人とメンバーが少なくても参加できるようになっている。さらに、園児から65歳を超える高齢者まで、男女を問わず、幅広い年代の人が参加。年によっては帰省して参加する人もいるという。また、家族での参加も多く、例えば、石飛さん一家は親子5人で出場。父親の純也さんは、「次男の怜桜が3歳ぐらいの時からなんで、約7年ぐらい前からやってます」と語った。
そして、大会が始まると、各チームが往復およそ900メートルのコースを走行。子どもから大人まで、水しぶきをあげながら力強い櫂捌きをみせた。
親子5人で参加した石飛さん一家の長男・晴渚くんは、「船が思うようには進まなかったけど、練習の時よりは速く進んでいたので、自分的に良い感じにいってたと思う」と、ペーロン大会を楽しんでいた様子。
夏祭り伊王島ペーロン大会の実行委員長・村山康博さんは、「海と関わりながら、大人と子どもの絆を深めていく、そのひとつがペーロン大会ということでやっていけたらと思っています。また、子ども達は大きくなっていくと、島を離れるかもしれませんけど、いずれは帰ってきて、海の自然とキレイな伊王島の海を守っていって欲しいと思います」と、伊王島ペーロン大会への想いを語った。
素材提供:日本財団「海と日本プロジェクトinながさき」
協力:株式会社 テレビ長崎