東日本大震災から8年余りが経った2019年7月26日、福島県の富岡漁港が復旧工事を終えて再開し、帰港式が行われました。この帰港式は、福島県にとって記念すべきもので、これで福島県内の漁港全てが利用可能になったのです。
釣り船業を営む石井宏和さん(42歳)は、そんな富岡漁港の再開を待ちわびていた1人です。
富岡町出身で祖父の代から釣り船業を営む石井さんは、もともと高校生の頃から家業を継ぐ意志が強く、父親の手伝いを続けていたそうです。そして、26歳の時に、船舶技術・釣果スポットへの誘導ともに熟練度合が十分ということで、父親から家業と釣り船「長栄丸」を受け継ぎました。富岡漁港での釣り船業は順調で、数年後には、娘の柑那ちゃんも産まれました。
ところが、富岡漁港は東日本大震災で津波被害に遭い、使用できなくなっていました。その結果、石井さんは受け継いだ釣り船業を失い、さらに、津波は柑那ちゃんまでも奪っていきました。「やっぱりくやしいですよね。それは当たり前です」と石井さんは語っています。
しかし、石井さんは「福島の海のために何か出来ることを」との想いで奮闘します。震災から2年後には、福島沖での試験的な漁のための調査にも自らの船を出し、サポートしてきました。とはいえ、複雑な想いを抱えてもいました。「町が今後どうなるのか、そこで生活が成り立つのか、ましてやそこで仕事が成り立つのか不安がないわけではない」と、当時の石井さんは語っています。ただ、そんな思いを抱えながらも、震災の後も福島の海と向き合ってきたのです。その理由は「この海で安心して海の仕事ができる環境にしておきたい」という想いからです。
その奮闘の結果、2017年からは、船を避難させていたいわき市の漁港を拠点に、釣り船の営業を再開することが出来ました。
そして、2019年の夏、遂に新しくなった富岡の港に、石井さんの船は戻ることが出来たのです。帰港式の日、震災後に産まれた3人の子どもを連れてきた石井さんは、長栄丸に大漁旗を掲げて富岡漁港へ戻ってきました。石井さんは「この漁港からやり続けるということが、福島の海の風評払拭にも繋がると思う。やり続けることによって、次の世代のために安心して海の仕事につける環境を作っておきたい」と語っています。
現在、石井さんは富岡漁港で震災前と同じように、釣り船業を営んでいます。「今日も、たくさんのお客さんが来てくれて凄く嬉しいし、福島の海を感じてもらえることは大変重要なことだと思う」と、富岡漁港で釣り船業が出来る喜びをかみしめています。今後は釣りを通して、富岡町に人を呼びこみたいと意気込んでいるそうです。
石井さんが生まれ育った福島の海。その海の素晴らしさを知ってもらうため、今日も石井さんは釣り船業に精を出します。
素材提供:日本財団「海と日本プロジェクトinふくしま」
協力:株式会社福島中央テレビ